日本には、神話の神様以外に、実在の人間を神様として祀る風習があります。
全国どこにでもある天満宮に祀られている、学問の神様としておなじみの「天神様」は、元々は菅原道真という実在の人物です。
日本神話の骨格は、記紀(古事記・日本書紀)が作られた奈良時代に成立したとされていますが、菅原道真の物語は、その後も「神」は生まれたということを端的にあらわすエピソードとなっています。
天神様=菅原道真の物語は、日本神話の時代よりはるか後の、神話のようなお話です。
菅原道真は、平安時代の政治家、学者、詩人でした。
若い頃から卓越した能力を発揮していましたが、当時は藤原氏の全盛期、藤原の出身ではない菅原道真は、政治対立に巻き込まれ、無実の罪で京の都から大宰府(福岡県)に左遷されてしまいます。
そして、大宰府に赴任した2年後、京都に戻れないままに亡くなってしまいました。
さて、菅原道真の死後、京の都では異変が相次ぎます。
彼を陥れた政治家が次々に病死、事故死し、更には都の内外で洪水や疫病や干ばつなどの災害が次々と起こったのです。
当時日本では、怨霊などが信じられていましたので、これらの不幸な出来事は菅原道真の怨霊による祟りだという噂が流れます。
祟りの噂の影響もあってか、菅原道真を追いやった張本人・藤原時平は狂死、他にもノイローゼによると考えられる自殺者が出ました。
結局、彼の政敵だった人物は、殆どが壮絶な死を遂げたとされています。
相次ぐ「祟り」に恐れをなした当時の朝廷は、道真に贈位し、さらには神様とし、彼を祀る「天満宮」「天神社」を各地に作らせました。
しかしいくら天神様を祀っても、京都での各種災害は百年もの間おさまらず、「菅原道真の祟り」は、その間ずっと語り継がれていきました。
その後、鎌倉時代頃にようやく祟りの記憶が風化していくと、道真が生前すぐれた学者・詩人であったことから、「天神様」は今度は学問の神様として信仰されるようになりました。
現在では菅原道真は「天満大自在天神」として、「天満宮」「天満神社」「北野神社」「菅原神社」「天神社」などの神社で、天神様として祀られています。