日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、日本神話の英雄です。
景行天皇の皇子で、仲哀天皇の父とされていますが、架空の人物であるという説もあります。
マンガやゲーム、アニメや映画の登場人物の元ネタとして、非常に多くの作品にでてきます。
ヤマトタケルノミコトのは西に東に、大活躍します。
伝えられているエピソードは非常に多いのですが、ここでは熊襲討伐と、草薙剣の由来について紹介します。
誤解で兄を殺してしまった少年の小碓命(のちのヤマトタケルノミコト)は、九州の熊襲健(クマソタケル)兄弟討伐を命じられます。
この西征では、わずかな従者しか与えられませんでしたが、女装して熊襲兄弟を見事討ち取ります。
この時、「ヤマトタケルを名乗れ」と熊襲弟からいわれ、その後は「ヤマトタケルノミコト」を名乗ることとなります。
征西を終えたヤマトタケルノミコトは大和に帰りますが、すぐに東征を命じられました。
この時、叔母の倭姫命に天叢雲剣と、ピンチのときに開けなさいという袋を貰いました。
そして、相模の国で、野中で火攻めに遭ってしまいます。
叔母から貰った袋を開けたところ、火打石が入っていたので、天叢雲剣で草を掃い、迎え火を点けて逆に敵を焼き尽くしました。
天叢雲剣で草を薙いだことから、その後天叢雲剣は「草薙剣」と呼ばれるようになりました。
しかしこの東征から帰る途中に、ヤマトタケルノミコトは三重県のあたりで病死してしまいます。
その後、遺体は白鳥となり大和を目指して飛んでいったとされています。